U-NEXTで配信中の新作で日本未公開の「ハイウェイの彼方に」を鑑賞してみました。
いいです!すごくいい!
78分という短い映画だから日本では未公開だったのか?こんないい作品、見なくちゃ勿体ないです。と、私は思います。
では、早速感想を綴ってみたいと思いますが、ネタバレも含まれますことをご了承くださいませね。
作品概略
原題:Adopt a Highway
製作年:2019年
日本公開日:未公開
製作国:アメリカ
キャスト:イーサン・ホーク、エレイン・ヘンドリックス
監督:ローガン・マーシャル=グリー
脚本:ローガン・マーシャル=グリー
監督・脚本を務めたローガン・マーシャル=グリーは、映画「スノーデン」「ヴォバリー夫人」、ドラマ「24」「ロー&オーダー」などに出演している俳優。
監督として今作でデビュー。
ざっくりあらすじ
カリフォルニアの三振即アウト法によって、25年の刑を受け、仮釈放されたラッセルがハンバーガーショップのゴミ箱から捨て子を拾う。
そこから彼の気持ちが変わり、故郷を訪ねるきっかけともなり人生が変わっていく。
カリフォルニアの三振即アウト法
過去2度以上特定の罪で有罪判決を受けた者が、再度重罪で有罪を言い渡された場合、3度目の罪が非暴力的なものであっても必ず、終身刑を含む25年以上の処罰を受けるとされています。これは全米の刑法でも最も厳しいものだという批判もあります。
Democracy Now!より
感想
とにかくすごくいい!非常に単純な感想で申し訳ないけど、鑑賞後にすがすがしく「よかったぁー」と思える映画でした。
81分ととても短い作品で、レビューには「ベタで退屈」「何の新しさもない」という意見もあったので、賛否は別れる作品かもしれません。
個人的には新しいだけがいいとは思っていないし、使い古されたベタなストーリーであっても、イーサン・ホークの素晴らしい演技で切なく温かく気持ちよく観られる作品だったと感じています。
イーサン・ホーク演じるラッセルは無口なんだけど、彼が置かれている決して幸せとは思い難い立場から湧き出る感情が見事に伝わってきます。
ラストの核心部分には触れませんが、以下の感想にはネタバレも含まれますことをご了承くださいませね。
前半のラッセル
カリフォルニアの三振法により、3度目の犯罪で懲役20年以上の判決を受けて収監されていたラッセル。
仮釈放の日を迎えたものの、なんとなく冴えない表情。「Good day」と笑って送り出した看守にも「足取りが重いな」と言われる始末。
収監されたときに預けた私物を出口で受け取るものの、それは20年以上も前の持ち物というのが寂しいなと思っていたら、いざ塀の外に出ても誰も迎えはいません。
外は自由だけど全て自己責任、頼る人もなく、ただただ不安が募るだけなんだろうな、と言うことがものすごくラッセルの表情から伺えるんです。
もうそれは気の毒になるほどで、もしかしたら彼はまだ塀の中にいたかったんじゃないか?と思えるほど。いや、きっとそう思っていたに違いありません。
20年も経ってしまえば、友達だっていなくなりますよね。20代の頃に親しく付き合っていた友人と、40代になってからも同じように付き合えるって希少ですもん。
それはお互いに同じ土俵にいるからこそ可能なのであって、刑務所の中から外にいる人と友情を育むなんて、きっと至難の業ですよね?
ラッセルは仮釈放され、1週間に1度、生活を報告しにいく義務があるものの、何度か通ったあとは報告書をメールで送るように言われます。
それって、ものすごく雑な制度ですよね。
20年以上も刑務所に居たら、浦島太郎です。自分のPCやスマホを持っていない人もいるだろうし、買えないかもしれないし、方法すらわからないかもしれないのに。
刑務所の中にもテレビはあるだろうから、多少の情報は入ってくるかもしれないけど、多分ひとり1台のPCなんてないだろうし、もちろんケータイなんてないですよね?
ラッセルの初挑戦
そこでラッセルは、勤め先のハンバーガーショップの近所にあるネットカフェに行ってみるんですね。初めてPCの前に座るラッセル。驚いた表情が見事なんです。
改めて俳優ってすごい!と思います。
1本指打法で恐る恐るキーボードをたたく彼を見て、ネットカフェの受付にいた男性が「初めてかよ?刑務所にでもいたのかよ?」からかうんだけど、ラッセルは素直に「そうだ」と答えるんですね。
彼は3回罪を犯したことで刑務所に入れられちゃったけど、根は素直で正直なヤツなんだろうな、と感じます。
そんな素直なラッセルを見て、受付のにーちゃんはメールアドレスを作ってあげて、使い方も教えてくれます。やっぱり人間、素直って美徳です。
赤ちゃんとの出会い
ある夜、勤め先のハンバーガーショップでゴミを捨てようと外のゴミ箱に近づくと、中から赤ちゃんの泣き声が聞こえます。
蓋を開けるとそこには捨て子が。
事務所に戻り、警察に電話しようとするんだけど、事務所には鍵がかかっていて電話が使えず赤ちゃんを家に連れて帰ってしまうんですね。
あああ、早く警察に行かなきゃ。連れて帰ったら誘拐になっちゃうじゃん。
部屋で泣いている赤ちゃんの声を聞いた誰かが通報したら、また刑務所に戻されちゃうじゃん、と気が気じゃないんですよ。
ラッセルはいいヤツ、と私は思っちゃってるので、どうにか捕まりませんようにと応援する気持ちになってます。
でもね、会話が成立しない赤ちゃんであろうと、ものすごく孤独だったラッセルの生活に、赤ちゃんは希望の光のような存在になっちゃったわけです。
扱い方だってわからないのに、赤ちゃんをあやす姿は痛々しいほど一生懸命だし、その姿には愛情を感じます。
赤ちゃんへの対応で、ラッセルはきっと愛されて育ったんだろうなと感じていたら、その赤ちゃんを相手に父親との思いで話を聞かせてやったりして、やっぱりなと納得。
だけど、赤ちゃんとも別れのときが来ます。
そこはすったもんだいろいろあるんだけど、ラッセルは赤ちゃんを手放したことで、ずっと行っていなかった故郷へ帰る決心をします。
長距離バス
ラッセルだって故郷が恋しい気持ちはあったはず。だけど、帰れなかったのは、すでに他界しちゃった両親に対する申し訳なさによるものだったと思うんですね。
だけど、愛情を感じていた赤ちゃんと離れ離れになったことが、両親に思いを馳せる大きなきっかけになったのでしょう。
もしかして、仮出所中は移動制限があるのでは?と思ったけど、ラッセルは長距離バスに乗ってネバダ⇒ユタを通って故郷のワイオミングを目指します。
バスの中で話しかけてきたのが、泣きはらして目の周りを真っ黒にしたダイアン。
見ず知らずの女性から話しかけられたラッセルは、おどおどの極致。反して全く意に介さないダイアン。
次第に二人は打ち解けていきますが、ダイアンとはバスの中だけの関りであって、バスを降りたら終了。そこにはどんな意味が込められているのだろうか?と考えてみました。
人生そのものが、長距離バスに乗っているとも言えます。
険しい道も平坦な道もあり、愉快な人も不愉快な人とも乗り合わせるわけだけど、人ってのは第一印象だけでは判断できないこともあり、言葉を交わしてみると印象と違うことだってあるし、そうしたことを積み重ねていくのが人生。
長距離バスの中と同じようなもんだよ、ってな感じかしら?
赤ちゃんと別れて相当落ち込んでいたであろうラッセルは、ダイアンとの会話で助けられたのは事実。
そして、ラッセルはきっと、少しだけ孤独な人生も自分次第、と感じたのではないかしらん。
ラッセル故郷へ帰る
長い長いバス旅を終え、ラッセルは両親が眠る墓地へ。そしてお墓に向かって「思っていたような人生じゃなかった。自分自身に苦戦している。ごめんね」と。
そうよね。20代半ばから40代半ばという男なら働き盛りの20年を刑務所で過ごしちゃったら、その20年は決して戻らないわけだし、両親の死に目にもあえなかっただろうから後悔しきりですよ。
墓参りのあとは、父から預かっていた貸金庫のカギを持って銀行を訪ねます。
そのカギこそ、泣いていた赤ちゃんがラッセルの胸元で揺れているのを見つけて興味を持って触っていたもの。
なるほど!あれが貸金庫のカギだったのか!とそこで思うわけだ。
さて、貸金庫には何が入っていたか?
父親からの手紙でした。これが泣けるんですよ。ものすごくいい手紙だったので、まだ映画を観ていない人は、観て確かめてほしい。
父親だけじゃなく、母親からの言葉もあって、不遇な20年を送ってしまった息子に対するふたりの愛情が詰まっていて泣けるのよ。
その手紙を読んで、それほど愛情を持ってくれていた両親に何もできなかったことを思い、ラッセルは自分の失った20年をもっと後悔したかもね。
まとめ
感想の最初にも書いたように、ベタで使い古された展開という感想があるように、見る人によって感じ方は様々だと思います。
だけど、私はすごく好きな作品だったし、何よりホントにイーサン・ホークが見事でした。
イーサン・ホークが出演している他の作品に記憶がないので、改めて他も観ようかなと思ったほど。
真っすぐに愛されて育った子は、きっとその愛情に守られていたりするんじゃないかしらん。
あえてラストシーンは書いていませんが、ラッセルのような再出発ができる人はまれだし、「やっぱり物語だからね、ふんっ」と思ってしまうのは勿体ない。
愛情深い環境で育ったラッセルは、自分だけがよければいいのが幸せにつながらないことを知っているし、人とのかかわりによって笑顔を取り戻しています。
仮出所したばかりの頃は、いつでもおどおどしていたラッセルが、最後の最後に見せた笑顔は本物でした。
いやー、短い時間ですっきり気持ちよく観られるおすすめの作品です。