実話を基にした映画『プライベート・ウォー』を鑑賞してきました。壮絶な映画でしたが、これは観てよかった!本当によかった!
英国サンデー・タイムズの特派員として、世界中の戦地に赴き、真実を伝え続け、2012年シリアでの砲撃により亡くなったアメリカ人女性ジャーナリスト「メリー・コルヴィン」のジャーナリストとしての活動を描いています。
実話を基にした映画は、その実話はどんなものだったのか?どんな人物だったのか?を仕込んでから観ると、更に映画が楽しめますからね。
ちょっと知識を入れ込んでおきたいと思いまとめてみましたので、感想と共にご紹介したいと思います。
Contents
作品の概略
レバノン内戦や湾岸戦争など世界中の戦地を取材した実在の女性記者メリー・コルビンの半生を、「ゴーン・ガール」のロザムンド・パイク主演、「カルテル・ランド」「ラッカは静かに虐殺されている」など骨太なドキュメンタリーを手がけてきたマシュー・ハイネマンの初劇映画監督作品として映画化。
イギリスのサンデー・タイムズ紙の戦争特派員として活躍するアメリカ人ジャーナリスト、メリー・コルビンは、2001年のスリランカ内戦取材中に銃撃戦に巻き込まれて、左目を失明してしまう。
黒い眼帯を着用し、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみながらも、人びとの関心を世界の紛争地域に向けたいという彼女の思いは強まっていく。
2012年、シリアの過酷な状況下にいる市民の現状を全世界に伝えるため、砲弾の音が鳴り響く中での過酷なライブ中継がスタートする。
2018年制作 イギリス・アメリカ合作
キャスト
俳優陣
主役のメリー・コルヴィンを演じるのは、『ゴーン・ガール』で失踪した妻を演じたロザムンド・パイク。
メリーの脇を固め、彼女の活動を助ける男たちには、『マリー・アントワネット』でデビューし、『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』で注目を浴びたジェイミー・ドーナン
『ボヘミアン・ラプソディ』でマネージャー役を演じたトム・ホランダー、『トランスフォーマー 最後の騎士王』『スポットライト 世紀のスクープ』など数々の作品に出演しているスタンリー・トゥッチ。
制作陣
監督は『ラッカは静かに虐殺されている』『カルテル・ランド』と、2作連続ドキュメンタリー部門賞を受賞したマシュー・ハイネマン。
製作には、女優のシャーリーズ・セロンが加わり、原作/製作総指揮は、96年にタバコ業界の暴露本を出版したマリエ・ブレンナー。
99年にその作品は、マイケル・マン監督、アル・パチーノ主演で『インサイダー』として映画化され、アカデミー賞において最優秀作品賞など7部門にノミネート。
エンドロールを飾る音楽は、強く逞しく美しいメリーの生き様に心動かされた元ユーリズミックスのアニー・レノックスが8年ぶりに手掛けた新曲「Requiem for A Private War」
と、豪華なキャストでの作品になっています。
メリー・コルヴィンとは、どんな人物?
メリー・コルヴィン:Marie Catherine Colvin
生年月日:1956年1月12日
死亡日:2012年2月22日
ニューヨークのオイスターベイで誕生。 父親は、第二次世界大戦で奉仕していた元アメリカ海兵隊員。
イェール大学を卒業して1年後に、ユナイテッドプレスインターナショナルのレポーターとしてニューヨークでキャリアをスタート。
1985年にサンデータイムズに移り、1986年からは中東の特派員になります。そして、死に至るまでイギリスの新聞The Sunday Timesの外交記者として働いていました。
1986年4月15日に行われた米軍によるリビアへの爆撃作戦「エルドラド・キャニオン作戦」で、劣勢に立たされたリビアの指導者カダフィ氏に対して、最初にインタビューしたのがメリー・コルヴィンでした。
1999年には東ティモールで、インドネシアの支援軍によって包囲された複合施設から、1,500人の女性と子供たちの命を救った功績が認められています。
2012年にメリーは、反政府勢力に対する政府の激しい取り締まりを記事に取り上げたため、シリアのホムス市でロケット攻撃を受け殺害されてしまいます。
死後、ストーニーブルック大学はメリー・コルヴィンの名誉を讃え、メリーコルヴィンセンターを設立し、ロングアイランドコミュニティ財団を通じマリーコルヴィン記念基金を設立。
2016年7月にメリーの家族を代表する弁護士が、シリア政府が暗殺を直接命令したという証拠を得たと主張し、シリアアラブ共和国政府に対して民事訴訟を提起。
2019年初頭にシリア政府が彼女の暗殺の罪を認定し、メリーの家族に3億ドルの損害賠償を支払いました。
判決によると、コルビンが「シリア国内で増大している反対運動を報道している人々を沈黙させる目的で、ジャーナリストである彼女が標的とされていた」とのこと。
感想
感想その1 メリー・コルヴィンに真のジャーナリスト魂を見た!
ジャーナリズムを描いた作品は、比較的最近の作品では「ペンタゴン・ペーパーズ」「記者たち」「スポットライト 世紀のスクープ」などがありますが、どれもある特定の事件に対するメディアのあり方やジャーナリストの活躍を描いた作品でした。


「プライベート・ウォー」は、メリー・コルヴィンという一人の女性戦場記者にスポットを当てています。
左目の視力を失い、戦場で多くの犠牲者を見て、壮絶な現場を体験しPTSDに苦しめられても尚、「戦場は大嫌い、だけど駆り立てられる」とメリー・コルヴィンは再び取材をするため、戦地に向かいます。
メリー・コルヴィンは、感銘を与えたいから取材をするし、人々に本当のことを伝えられなければ取材は失敗、とも言っています。
煙草とお酒が手放せなくなるほど、メリー・コルヴィン自身も追い詰められていることがわかりますが、それ以上に「駆り立てられる」彼女の使命感がビシビシ伝わってきます。
安田純平さんという日本人ジャーナリストがシリアで拘束され、2018年にトルコ政府に保護された事件は、記憶に新しいかと思います。
その際、「自己責任だ」という意見も多く見られ、当時は私も同じように思っていました。安田さんの行動が多くの人に迷惑をかけた、という認識でいました。
安田さんがどのような動機で行ったのかはわかりませんが、プライベート・ウォーのメリー・コルヴィンを見て、詳細がわからないのに安易に批判的な感想を持っちゃいけなかも、と感じました。
安田純平さんの活動は全く知らないので、迂闊な発言はできませんが、世界では様々なことが起きていて、それを知ってもらいたい、世の中に届けたいと思っている人がいるということ。
ジャーナリスト本来の姿を知った、とでも言いましょうか。
芸能人のゴシップや、政府に忖度した記事や、都合のいいことだけをまとめたニュースではなく、世の中で起きている本当のことを伝えるために戦っていたのがメリー・コルヴィンです。
「あなたの話しが聞きたい」と、近くで爆撃のすさまじい音がする中、恐怖に震えながら子供を抱きしめている母親に訴えます。
すると、その母親は「一世代が死んでいくほどの出来事を書くだけでなく、ちゃんと伝えて欲しい」と訴えます。
戦場にいれば辛い場面にしか遭遇しないけど、そこにいて限界を超えた我慢を強いられている人々の姿を伝えるために、命を懸けて生中継を実行します。
感想その2 飽食の時代でも食べられずに亡くなる人もいる
メリー・コルヴィンは「私は、太りたくないから節食する。だけどその一方で、食べる物がなくて死んでいく人がいる」と苦しむんですね。
日本は、食品ロス大国です。食べられないで死ぬ人は、多分いません。
そして、そんな国で生活していると、食べられずに亡くなる人がいることを実感することもありません。
それは自分とは関係のない他人事かもしれないし、知ったところで何ができるわけでもないけど、まずは知ることが大切なのかな、と感じています。
感想その3 本当のことを知る
メリー・コルヴィンは常に本当のことを伝えたい、と思って活動しています。そして、自分の取材がきちんと人々に届くか、ちゃんと見てもらえるか、ということも気にしています。
今は、ニュースを見てもネットを検索しても何が本当のことなのか、どれが真実なのか、わからなくなっていますよね。
だけど、常に本当のことを伝えたいと思っている人はいるし、本当の声に耳を傾けられる人でありたいし、そうでなければ何も変わりません。
メリー・コルヴィンは、残念ながら戦地で亡くなってしまいましたが、この映画で「メリー・コルヴィン」というジャーナリストを知ったことをラッキーだったと思いました。
タイトルが「プライベート・ウォー」となっているように、これはメリー・コルヴィンというジャーナリストのジャーナリズムとの戦い、PTSDになりながらも尚伝えたい!という思いとの戦い、戦地にいる被害者である女性たちの物語を伝えるための戦いだったのでしょう。
まとめ
美しく髪を整え、授賞式に参加するシーンがありましたが、メリー・コルヴィンにとって「受賞」はそれほど大きな意味のあることではないのかも、と感じました。
恋人に手を取られてレッドカーペットが敷かれている階段を上る姿はどこか上の空。
伝えることを使命と感じていた彼女にとって、受賞は副産物に過ぎなかったのかもしれません。
彼女がホテルのバスルームで身につけていた下着が、イタリアの最高級ブランド「ラ・ぺルラ」のランジェリーでした。
「どこで野垂れ死んでも優雅さは失いたくない」だったかな?いや、違っていました。「私が死体で掘り出されたとき感銘を与えたいから」こんなセリフを口にします。
華やかなランジェリーと戦場がミスマッチに感じたし、彼女が身につけるなら機能性重視のイメージだったけど、常に死を意識していたからこそ、女性ならではのアイテムにこだわっていたことが実にかっこよかった!
戦争を舞台に、かなり壮絶な場面もある映画だけど、より多くの女性が鑑賞してくれたらなぁと思った作品でした。