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映画「存在のない子供たち」ネタバレ感想|地獄で生きている少年の叫びです

今月、一番観たかった映画「存在のない子供たち」を鑑賞してきました。

自分の人生は、もう明らかに後半戦ですが、ここに至るまでに「生まれてこなきゃよかった」と思ったことがあっただろうか?

日々、生きていることが辛くて、やりきれなかったことがあるだろうか?と考えてみました。あなたはどうですか?

そりゃあね、長く生きていれば泣き明かすほどの大失恋ってのも経験したような気はするけど、もう詳細は忘れちゃってるし、彼氏なんてのはいくらでも替えがいます。

付き合っているときは、唯一無二の存在だと思っていたけど、あれ?別れて冷静になってみれば、なぁーんだ!大した男じゃなかったわ、ってなことも多々あります。

だけど、自分がこの世に生まれてきたことの証明もできず、誕生日も知らず、年齢も定かじゃない。学校にも行けず、右と左の違いもわからない、毎日必死に働かないと兄弟が食べていけない。

少なくても、我々はそんな過酷な環境に置かれているわけじゃないし、そもそも失恋なんてのは、自分だけの問題ですよね。よぉーく考えてみれば、アリの糞ほどちっちぇーことなんです。

と、歳を取ると思います。

前置きが長くなってしまいましたが、映画「存在のない子供たち」の感想を綴ってみたいと思いますが、ネタバレしておりますことをご了承くださいませね。

作品の概要

長編デビュー作「キャラメル」が高い評価を得たレバノンの女性監督ナディーン・ラバキーが、貧しさゆえに親からまともな愛情も受けることができずに生きる12歳の少年の目線を通し、中東の貧困・移民問題を抉り出した人間ドラマ。

中東の貧民窟で暮らす12歳のゼインは、貧しい両親が出生届を提出していないため、IDを持っていない。

ある日、ゼインが仲良くしていた妹が、知り合いの年上の男性と強制的に結婚させられてしまい、それに反発したゼインは家を飛び出す。

仕事を探そうとしたがIDを持っていないため職に就くことができない彼は、沿岸部のある町でエチオピア移民の女性と知り合い、彼女の赤ん坊を世話しながら一緒に暮らすことになる。

しかしその後、再び家に戻ったゼインは、強制結婚させられた妹が亡くなったことを知り……。

2018年・第71回カンヌ国際映画祭で審査員賞とエキュメニカル審査員賞を受賞。

映画「存在のない子供たち」映画.comよ

2人の子役

ゼイン少年

ゼイン・アル=ラフィーア

上の動画は、映画のゼイン少年と同じような境遇にあって、監督の目に留まり主役を射止めたゼイン・アル=ラフィーアへのインタビューです。

2004年10月10日シリアのダルアー、東マリハで生まれる。

シリア内戦の軍事的対立のため、2012年以来教育を受けることができず、その年、国内情勢の治安悪化により、家族でレバノンへ逃れた。

シリア難民として、ベイルートでは、一般の教育になじめず、家庭教師から一貫性のない教育を受けることになる。

貧しい生活をおくり、10歳の時からスーパーマーケットの配達をする仕事を含む多くの仕事で、家計を助けた。

2018年8月、国連難民機関の助けを借りて、ノルウェーへの第三国定住が承認され、家族とともに移住している。

オフィシャルサイトより

ゼインが面倒をみていたヨナス

ボルワティフ・トレジャー・バンコレ

画像引用元:IMDb

2015年11月21日マウントレバノン生まれ。

両親は清掃業の契約でレバノンに入国したものの、父親はアンダーグラウンドのアフリカ音楽シーンでDJ業を始め、母親は主婦。

家族は、度々直面する人種差別を逃れるために、家を転々とし、2015年にはベイルートのナバアに移住し、2016年に本作のキャスティング・ディレクターと出会う。

2016年末の撮影真っただ中に、トレジャーの両親は逮捕されてしまう。ちょうどその頃、トレジャーの演じるヨナス(1歳)が母親を失うところを撮影していた。

映画の撮影隊は立ち上がり、「彼らを釈放させ、安全に国を去るための時間を与えて欲しい」と公安機関に訴え、家族は2018年3月6日に国外退去させられた。

オフィシャルサイトより

ゼインの両親、11歳で花嫁となった妹のサハル、やっと歩き始めたヨナスの母:ティゲスト、全員が中東生まれ、または中東での生活経験があり、それぞれに恵まれない環境の中で生活していた人々。

画像引用元:IMDb

とにかく!個人的には、この二人が寄り添う姿が、ホントにもうもう愛しいんだけど辛くて・・

我が子であろうと泣き止まなければ面倒だと思うこともあるし、悪さをすればイラっとするし、自分の行動の足かせになると感じることってありますよね。

ゼインだってそんな感情に捕らわれるんだけど、ちゃんと面倒を見るんですよ。ここがすごい!です。

やっと歩き始めたばかりなヨナスは、もちろんしゃべることはできません。だけど、真っすぐゼインを見る目に信頼が宿っているんですね。

きっとゼインもそれを痛いほど感じるからこそ、見捨てることができない。

お金がない、だから食べるものが買えない、水も底をついた、そんな状況の中でも、知恵を絞って何とかヨナスに与えるんです。

ある時は、近所の幼児が持っていた哺乳瓶を盗んでヨナスに与えてみるんだけど、母乳で育っていたヨナスは、どうしてもその哺乳瓶からミルクを飲んでくれません。

すると、ゼインは驚きの方法を編み出して、とにかくヨナスに栄養補給をさせます。人の生きるための知恵って、すごいなぁと感じます。

あらすじ

その1 ゼインの家出

冒頭から「僕を生んだ罪」でゼインが両親を訴えた裁判シーン。映画は、そこに至るまでの出来事が描かれています。

ゼインは、両親とたくさんの兄弟と中東の貧民街で暮らしています。ゼインはすぐ下の妹:サハルと仲が良く、ある日、妹の初潮をゼインが察知し、手当てをして親には秘密にするよう言い含めます。

少女から女になると、妹が売られてしまうことをゼインは知っていたんですね。

ある日、その不安が現実のこととなります。嫌がるサハルを父親がバイクに乗せ、ニワトリと引き換えに、近所で商店を営んでいた男の元に嫁がせられてしまいます。

そのことがきっかけとなり、ゼインは家を飛び出しますが、身分証明書を持っていないため、仕事に就くことができません。

遊園地で野宿をしている時に知り合ったヨナスの母:ティゲストの家に転がり込み、ティゲストが仕事に行っている間、ヨナスの面倒を見ることになります。

3人の貧しくても平和な生活は続かず、ティゲストは不法就労で捕まってしまいます。そこからゼインとヨナス、二人の生活が始まります。

画像引用元:IMDb

その2 ゼインとヨナスの生活

ヨナスは演技ができる年齢ではないんだけど、ものすごくそのシーンにあった表情をするんですよ。

父親はいないけど、母のティゲストがヨナスをこよなく愛しているのが伝わってくるんですね。それがヨナスの明るい表情を作っているんだろうなぁと、自分の中で映画と現実の境界線がなくなってきます。

だけど、その様子を見ているゼインは、時々悲しそうな表情になります。そう・・・不屈の精神を持っているかのように感じるゼインだって、まだ母親の愛情が恋しい年頃です。

ヨナスの瞳には、強さと悲しさと諦めと希望・・様々な光が宿っています。とにかく、そこ!すごいです。

その3 ゼインの希望と絶望

ヨナスと共に何とか生活をしていたゼインも、遂に力尽き、ブローカーの囁きに乗ってヨナスを手放します。でもね、今までよく頑張ったよ!ゼインが悪いわけじゃない、ヨナスだって君と一緒の生活を感謝しているはずだから、と言ってやりたい!

後ろ髪引かれつつヨナスのそばを離れるゼインの姿に胸が締め付けられます。

そして、ゼインはブローカーの「好きなところへ行かせてやるから、身分証か出生証明書を持ってこい」という言葉を信じて、家へ取りに帰ります。

久しぶりに家に帰ってきたゼインを見て、母親はどこかホッとしている様子があるものの、それを上手に表現できないんですね。

家に帰ったことで、ゼインは妹が亡くなったことを知り、包丁を持って家を飛び出し、妹の夫を刺した罪で刑務所に入れられることになります。

そして、刑務所の中からテレビ局に電話をしたことがきっかけとなって、両親を訴える裁判を起こすことになっていきます。

感想

辛いとか、悲しいとか、悲惨とか、かわいそうとか、そういうありきたりな形容詞でこの映画を語っちゃいけないように感じました。

ナディーン・ラバキ監督は、この映画を制作するために、3年のリサーチ期間を費やし、実際に目撃&経験した事を盛り込んでフィクションに仕上げています。

監督が取材している中、映画と同じような状況下で暮らしていた16人の子供を持つ、ある女性がゼインの母親のモデルとなっているそうです。

日本にいると中東は遠いし、実態も掴みにくい国々だという印象を持っていますが、「子ども」の存在価値は万国共通だと思っています。

出生届も出されていない子供は、日本にもいると聞いたことがあります。愛されることも、教育を受けることも、本来は当たり前にあるはずの子どもの権利。

だけど、貧しさや親が置かれた環境によって、本来は当たり前にあるはずの権利を受けられない子供たちが世の中には大勢いる現実。支援を募ったとしても、その支援を必要としている人たちに行き渡らない現実。もどかしいですよね。

ただ、ゼインの両親は、子供たちに愛情を持っていなかったのか?と問えば、それはNOだと思います。

画像引用元:IMDb

以前、この本を読んだとき、我が子を死に至らしめた実の親たちも、彼らなりに我が子に愛情を感じていたことを知りました。

「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち [ 石井 光太 ]

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愛情はあるのに、その表現の仕方や子供に正しい環境を与えることを親が知らなかったのではないか?と感じたんですね。

「おまえなんか、生まれてこなきゃよかったんだ」と父親がゼインに言い放つシーンがあります。じゃあ、何故作ったんですか?子供は自分で望んでこの世に生を受けたわけじゃない。

でも、父親もまた、その親から同じような仕打ちを受けて育ったのだろうなと、思います。

ゼインが両親を訴えて裁判所に出頭したとき、母親はまた妊娠しています。

するとゼインは「お腹の子も僕と同じ運面なんだ。僕は地獄で生きている。もう子供は作るな」と言います。悲痛な訴えだし、ある意味、ゼインの言う通りのような気もします。

子どもを作る行為は誰でもができることだけど、子どもを作ったら責任が生じるということ、子どもにも権利があるということ、子どもは労働力ではないということ、避妊という手段があることをきちんと教育すべきと思うけど・・・

まあ、それもまた環境によっては難しかったりするんだろうなぁということも容易に想像できて、非常にもどかしいですね。

自分でできることが何もなかったとしても、世の中のあらゆる出来事を知っておくことは無駄じゃない!と思っているので、この映画は全ての大人、そしてこれから大人になっていく青年層に観て欲しいと思った作品でした。

機会がありましたら是非!