映画「ジョーカー」を鑑賞してきました。
アメコミに詳しいわけでもないし、DCコミックスのファンでもないし、ヒーローものが好きなわけでもないけど、バットマンのダークナイトシリーズが大好きなので、「ジョーカー」は見るっきゃない!評判がすこぶるいいですし。
ジョーカーは、DCコミックの「バットマン」に出てくるヴィラン(悪役)ですが、アメコミ映画のイメージを持って鑑賞すると大いに裏切られる、ジョーカー誕生の切なく悲しい物語。
ジョーカーを演じたホアキン・フェニックスの演技が圧巻。飲み込まれてしまいそうな感覚がありましたもの。
キャッチコピーになっている「本当の悪は笑顔の中にある」という言葉を、映画を鑑賞した人たちにはどう響くでしょうか。
きっとそれぞれの人生の歴史によって、感じ方は大きく違うだろうと思うけど、笑顔は常に「明るさや楽しさ」というポジティブな側面だけではない、ということを再認識しました。
それでは、ジョーカーの感想を綴ってみたいと思いますが、ネタバレも含みますことをご了承くださいませね。
Contents
「ジョーカー」の概要
原題:Joker
製作年:2019年
製作国:アメリカ
キャスト:ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ
監督:トッド・フィリップス
脚本:トッド・フィリップス、スコット・シルバー
バットマンの悪役で知られるジョーカーにフォーカスした作品で、DCコミックスを映画化した作品としては、第79回ベネチア国際映画祭のコンペティション部門で初めて最高賞の金獅子賞を受賞。
実写版ジョーカーの歴史
1989年製作のバットマンでジョーカーを演じたのはジャック・ニコルソン。
2008年製作のダークナイトでジョーカーを演じたのは、映画の公開を待たず若干28歳のとき、薬物併用摂取による急性薬物中毒により急死してしまったヒース・レジャー。
2016年製作のスーサイド・スクワットの中でジョーカーを演じたのはジャレッド・レト。
バットマンのスピンオフドラマ「GOTHAM/ゴッサム」では、名前こそジョーカーとはなっていないものの、サーカスで育ったジェローム・ヴァレスカこそが、「GOTHAM/ゴッサム」におけるジョーカー。
ジェロームはシリーズ1の「笑う男」から登場し、そのタイトルも白く塗った顔もまさにジョーカーを彷彿とさせ、本家ジョーカーよりも残忍。

何故、ジョーカーは顔が白いのか?
ジャック・ニコルソンが演じたジョーカーは、化学薬品工場で警官隊との銃撃戦になっていたとき、バットマンが発砲した跳弾が当たって薬品槽に落下。そのせいで肌が漂白され、跳弾による傷で顔の筋肉が麻痺したと設定されています。
ダークナイトでは、ジョーカー自身が「酔っ払った父親に切り裂かれた」とか「借金の脅しで顔を傷付けられた妻を笑わせるために自ら切り裂いた」と語っていて、その都度話が変わるため、真相は定かではありませんが、何らかの理由で顔が白くなったのではなく、自分でメイクを施している設定。
今作のジョーカーは、ピエロに扮することが仕事。
主演キャスト:ホアキン・フェニックス
ジョーカーの評価は、ジョーカーと呼ばれるようになったアーサーを演じたホアキン・フェニックスの功績が大!と映画を観て感じます。ジョーカーを演じるにあたり、20キロも減量。
あばら骨が浮かび上がる上半身に、ジョーカーの痛々しさや過酷だった人生を感じます。
ホアキン・フェニックスは、役作りで痩せる大変さを体験したことがあったからやりたくなかったけど、トッド・フィリップス監督が、アーサー扮するジョーカーに対して抱いていたイメージが「痩せたオオカミ」だったため、仕方なくダイエットしたのだそう。
「ドラゴンタトゥーの女」で天才ハッカーを演じたルーニー・マーラと2016年から交際中らしいです。

ヴィーガン(動物性の食材は食べない)で、撮影の際も、どうしても必要だと納得しない限り毛皮や皮も身につけないほど徹底していて、「アニマルライツ(動物の権利)」を描いた2015年のドキュメンタリー映画「ユニティ」にも出演しています。
行方不明の捜索を請け負う元軍人ジョーを演じたイギリス映画「ビューティフル・デイ」では、カンヌ国際映画祭男優賞を受賞。
2019年に日本で公開された「ゴールデン・リバー」では、シスター兄弟の粗暴で酒癖の悪い弟チャーリーを演じていました。
とても同一人物とは思えない!だから俳優ってすごい!といつも思います。

20キロの減量して役作りをした肉体だからこそ、ジョーカーが抱えている闇や苦しさに飲み込まれそうになってしまうほど、リアルに感じられるんです。
ただただ脱帽です。
トッド監督には、アーサーの役作りに、無声映画時代のチャーリー・チャップリンの要素を入れ、ダンスや身体の動きで思いを表現してほしい、という思いがあり、確かにちょっとしたアーサーの動作や、ラスト近く階段を下りるシーンは、チャップリンを彷彿とさせる動きになっています。
「ジョーカー」ざっくりあらすじ

アーサーは、突然笑いだしてしまうという精神的な病を抱えながらも、ピエロに扮してパフォーマンスをする仕事をしながら、病気の母親と暮らしています。
ある日、小児病棟でパフォーマンスをしている時、同僚から貰った銃を床に落としてしまい、そのことが問題になって仕事を首になってしまいます。
失意の中、ピエロに扮したまま電車に乗ると、女性をからかっていた3人の男性と遭遇。
突然、笑い出したアーサーの方へ寄ってきた男たちに暴行を受け、アーサーは3人を銃で撃って逃亡。この事件が、富裕層に対して不満を持っていた貧困層に支持され、ピエロに扮した人たちのデモへとつながっていきます。
コメディアンになりたかったアーサーは、あるきっかけで憧れていたマレー・フランクリンの番組に呼ばれることになり、そこで司会者のマレーを番組内で射殺。
逮捕されたアーサーでしたが、護送される途中で街に繰り出していた暴徒化した一般人によって助けられます。
その後、精神病院に移され精神分析医のカウンセリングを受けるものの、診察室から脱走しようとします。
感想
その1 ダークナイトシリーズファンとしては嬉しい演出
今作「ジョーカー」にはバットマンは出てこないし、話題にも上らないけど、ダークナイトシリーズのファンだったら、思わずニヤリとしちゃう演出が施されていて、それが嬉しかったですねー。
ジョーカーが暮らす街は「ゴッサムシティ」だし、アーカム精神病院も出てきたし、市長選に立候補していたのはトーマス・ウエインだったし、ジョーカーが銃で男を射殺してしまった電車は、トーマスが私財で建設したモノレールじゃないか?と思ったし、
トーマスのひとり息子で後にバットマンになるブルースも出ていたし、ブルースの目の前で両親が強盗に射殺されてしまう「バットマンビギンズ」でのシーンもありました。
ドラマの「ゴッサム」もブルースの目の前で両親が射殺され、映画と同じように母親の真珠のネックレスを引きちぎって奪っていきますが、ジョーカーでも同じシーンが再現されていました。
ファン心理を汲んでくれた演出だったのではないでしょうか。事件を追う刑事は、ゴードンじゃなかったけどね。
その2 母の真実
母親思いの優しいアーサーは、「どんな時も笑顔で人を楽しませなさい」という母の言葉を守り、夢はコメディアンになること。
カウンセラーから書くように言われている日記は、アーサーのネタ帳にもなっていて、彼のつつましい生活の根源は「笑い」と共に存在していたに違いない。
そんなアーサーの質素だけど平和な生活は、解雇と母の真実の姿を知ったことで大きく変わってしまいます。
ある日、アーサーは母が毎日トーマス・ウエインに書いた手紙を読んで、そこには自分が母とトーマスの間の子であることを知り、トーマスに会いに行くと、トーマスからは母が手紙に書いたこととは全く別のことを聞かされます。
トーマスの言ったことを確かめてみると、母が手紙に書いたことがウソで、自分は養子であること、幼児期に虐待されていたことなどを知ってしまうんですね。
階段の踊り場で、事実を知ったアーサーが母の診断書を握りしめ、泣きながら笑う、苦しいけど悲しいけど、笑うしかない、それ以外にアーサーは悲しさや苦しさを癒す方法を知らないかのように。
その悲しみは、どれほどのものだったことでしょう。
アーサーは、虐待されていたことに対する記憶はなかったようだけど、アーサーが大人になる過程で大きく影響していただろうし、突発的に笑い出す精神疾患も幼児期の悲しみを笑いに転嫁させる一種の保身だったかもしれません。
そんな過酷な生い立ちを知ると、コメディアンになりたいアーサーの裏側でもあるジョーカーが生まれたのは、彼自身だけに責任があるのではない、と感じます。
その3 もしアーサーが
アーサーが、同僚から貰った銃で射殺してしまったのは、ウエイン産業に務めるエリート社員。
それは報道もされていて周知の事実。もし、アーサーが射殺してしまったのが、ウエイン産業の社員でなく、貧しい人だったとしたら?
きっと、民衆はピエロを指示しなかっただろうし、デモにも発展しなかったでしょうね。きっと。
富めるものの所に富は集まり、貧しい人は貧しいまま、というゴッサムシティの民衆たちの不満が、ピエロに扮してデモに繰り出すエネルギーになったんです。
笑っていたくても苦しいことが続くアーサーは、カウンセラーに「毎日苦しい」と吐露します。
だけど「あなたは僕の話しを全く聞いてないじゃないか」と怒りをぶつけるシーンもあるんですね。ホント、そうなんですよ。ちゃんと聞いてない。
カウンセラーが人の話をきちんと聞けなくて、それで仕事って言えますか?って話しですよね。
もしかしたら、もっときちんとアーサーの話しを聞いてくれるカウンセラーに出会っていたら、アーサーはもっと心を開いていたかもしれないし、そうしたら事件を起こさなかったかもしれません。
自分も同居の母親も病気を抱え、不安定な雇用の仕事しかなく、ちゃんと自分の話しを聞いてくれる人もいない、突然笑いだす自分を気味悪がる人ばかり。
そんな孤独な毎日だったとしたら、犯罪に走っていい理由なんてゼロだけど、アーサーが銃をぶっ放して高揚感があった、と言ってしまったのも無理はないかな、と感じてしまいます。
アーサーには、苦しみのはけ口が全くなかったんですね。そりゃ、誰だって苦しいですよ。
その4 苦しいときも笑うべきか
有酸素運動時、苦しいなと感じてきたら、しかめっ面をするより笑顔でやっていた方が呼吸が楽になったりします。
悲しいことがあって思いっきり泣いた後は、鏡を見て笑顔を作ると気持ちが楽になるとも言います。
「笑い」は生活の潤いでもあります。だけど「嘲笑」は人を傷つけます。
アーサーを嘲笑して傷つけたのが、憧れだったマレー・フランクリン。コメディアンは自虐ネタで笑いを取ることもあるわけだし、相方から標的にされることで観客の笑いを引き出すこともあります。
だけど、それは純粋なアーサーには通じなかったんですね。
マレー・フランクリンに憧れ、番組に呼ばれ、部屋でひとりリハーサルをしている姿には、復讐の影は見えないけど、もはやそのアーサーは、心優しいアーサーではなくて、複雑な要素が積み重なって悪へと変貌してしまった別のアーサーです。
ダークナイトやゴッサムに出てくる残忍で狡猾なジョーカーの姿ではないけど、複雑な生い立ち、社会から虐げられていた日々、ガラガラと崩れ落ちた母親像などから、人を寄せ付けない孤独で不気味なジョーカーが生まれたのだ、ということを理解した感じですかしらね。
まとめ
ジョーカーを演じたホアキン・フェニックスが、とにかくすごかったです。
自分と違う人、なんとなくおかしい人、自分の価値感に合わない人を簡単に排除しようとする今の社会の風潮に、待てよ!というサインを送った作品でもあったのでは?と私は感じます。
世の中なんて、自分と一緒の価値観や境遇や意見を持った人の方が少ないと思った方がいい。だからこそ、自分の意見が正しいわけでもないし、人の意見を聞く必要もあるってことです。
イジメだって、ちょっと変わった子だから、生意気だから、目立ったから、なんとなく気に入らない、などが理由だったりしますよね。そんなのは傲慢です。
先日は、教師の間で行われていたパワハラがニュースになっていました。パワハラをするような奴こそ弱虫だし、頭の悪いヤツらです。
どんな世の中になっても貧富の差はなくならないだろうし、弱者もいなくならないだろうけど、環境が変われば人は変われるし、信頼できる人が話を聞いてくれるだけでも救われます。
と言うことをものすごく強く感じた映画でもありました。
ラストシーンは次に続くのかな?とも感じたけど、続編はないと監督自身が語っていたようです。確かに、今作はこれで完結の方が、印象的かもしれません。すごいね、ジョーカー。