映画「ドッグマン」を鑑賞してまいりました。
予告動画を観て、なんとなく想像していた物語を、いい意味でバッサリと裏切ってくれた作品でした。
巷の評価がいいのも、数々の賞にノミネート&受賞したのも納得の映画です。
冒頭、歯をむき出しにしてシャンプーを嫌がって暴れる犬に、腰は引けているけど愛情を感じる主人公の接し方には、思わず笑みがこぼれちゃうんだけど、全く微笑ましい映画ではありません。
犬ってかわいい~、きゃー、とか言って観ていられる映画でもありません。
スクリーンの中から訴えかける優柔不断な主人公の絶望感、イライラするほどの優柔不断さ、それが最後にどうなるのか?
人間って、承認欲求や存在意義を感じさせてもらえる環境にいたら、悲劇は起こらないのかもしれません。
それでは、監督がこの映画を製作するにあたり、インスピレーションを得た実話の解説と映画感想を綴ってみたいと思います。
物語の核心には触れていませんが、感想にネタバレが含まれていますことをご了承くださいませね。
Contents
作品の概要
【あらすじ】
イタリアのさびれた海辺の町で、〈ドッグマン〉という犬のトリミングサロンを営むマルチェロ(マルチェロ・フォンテ)。
妻とは別れて独り身だが、彼女との関係は良好で、最愛の娘ともいつでも会える。
地元の仲間たちと共に食事やサッカーを楽しむ温厚なマルチェロは、ささやかだが幸せな日々を送っていた。
だが、一つの気掛かりが、シモーネ(エドアルド・ペッシェ)という暴力的な友人の存在。
小心者のマルチェロは彼から利用され支配される関係から抜け出せずにいた。
自分の思い通りにいかないとすぐに暴れるシモーネの行動は、仲間内でも問題になり、金を払ってよその人間に殺してもらおうという話さえ出ていた。
ある日、シモーネから持ちかけられた儲け話を断りきれず片棒をかついでしまったマルチェロは、その代償として仲間たちの信用とサロンの顧客を失い、娘とも会えなくなってしまう。
満ち足りた暮らしを失ったマルチェロは考えた末に、ある驚くべき計画を立てる――
映画「ドッグマン」オフィシャルサイトより
1968年、イタリア・ローマ生まれのマッテオ・ガローネ監督は、カメラマン助手として働いた後、1996年に短編映画『Silhouette』で賞を獲得。その後、数々の受賞作を生み出しています。
映画のインスピレーションの基になった実話とは?
「ドッグマン」は、1988年にローマのサロンで友人を殺害したペットグルーマーであり、麻薬中毒者でもあったピエトロ・デネグリの実生活に触発され、マッテオ・ガローネが12年前に執筆を開始した作品。
実際の事件は、ピエトロ・デネグリが、元ボクサーのジャンカルロ・リッチという凶悪な男に対して、指や舌の切断、加えて去勢や頭蓋骨の切断など、何時間もの恐ろしい拷問にさらしたと主張したことで、醜悪な事件として悪名高く噂になりました。
ピエトロ・デネグリは7時間にも及ぶ拷問をしたと供述しているようですが、実際には40分ほどだったことがわかり、解剖の結果、指や舌の切断はあったものの、頭蓋骨の切断はなかったことが判明してます。
事実と供述が異なるのは、コカインの過剰摂取による錯乱と考えられていますが、映画に出てくるように犬の折に閉じ込め、鎖で縛ったのは事実だったようです。
拷問の後にジャンカルロ・リッチが亡くなったのは事実なので、それだけの拷問を加えるほど、ピエトロ・デネグリのリッチに対する恨みは深かったのだろうと想像できます。
ピエトロ・デネグリは、有罪判決の結果、24年間の懲役刑となり、16年間収監されていました。
マッテオ・ガローネ監督は、この事件に触発されて脚本を書き始めたものの、何度も書き直し、事件を再解釈したり、再構築しています。
そんな過程を経て「ドッグマン」が誕生していますので、実際の事件からインスピレーションを得てはいても、最終的にはマッテオ・ガローネが生み出した物語と言えるでしょう。
オフシャルサイトの中でのインタビュー記事でも
実際の事件は、当時イタリアを騒がせた陰惨な殺人事件でしたが、映画の方向性としては全く違う独立したものになっています。
実話に基づく要素としては、登場人物たちですね。
主人公のマルチェロ・フォンテ演じるマルチェロという男は、犬のトリマーやドッグシッターをやっていた実在の人物です。
彼がシモンチーノと呼ばれていた暴力的な男との関係性の中で、彼自身は全く暴力性とは無縁である人物だったにもかかわらず、抗えない暴力のメカニズムの中に陥っていくのですが、ストーリーの展開自体は自由に羽ばたいていきました。
実際の事件を知っている人たちからは、かなり暴力的な物語ではないかと思われがちなんですが、特に前半は愛情ですとか、彼の生活、彼の優しさを描いています。
ちょっとクスッと笑ってしまうようなコミカルなところもあると思うんですね。
マッテオ・ガローネ インタビュー記事
と語っています。
映画で描かれているより、実際の事件の方がずっと凄惨だったようです。
映画のロケ地
実話の犯人ピエトロ・デネグリは、ローマ南西部の歴史的に恵まれない地域であるマグリアーナに住んでいたそうです。
映画のロケ地は、マグリアーナよりさらに南のアドリア海にほど近い、ヴィッラッジョコッポラで撮影されていて、映画に出てくる地名は架空のものです。
1960年代には、カンパニアの海岸に行楽客やセレブのための海辺の避暑地として栄えた町ですが、適切な許可なしに建立され、自然環境に損害を与えたとして非難され、現在はゴーストタウンになっているそうです。
確かに、映画の中で主人公のマルチェロが営んでいるドッグトリミングの店は、荒れ果てたビルの一角でしたし、ビルの前に広がる空地も緑がなく土がむき出しになって、水たまりができているようなさびれた風景です。
感想
核心には触れず感想を綴りますが、ネタバレは含まれますことをご了承くださいませね。
感想1 のび太とジャイアン
正にのび太だ!と思ったのが、ドッグトリミングの店を営んでいるマルチェロ。小柄で細くて、青白く、いつもジャイアンいや、シモーヌの前ではおどおどしているんです。
実際、マルチェロを演じた俳優のマルチェロ・フォンテは、身長が160センチと小柄です。
しかも決定的に卑屈さを感じるのが、かなりな猫背。これが、トラブル運んできそうだなぁ~、幸せ掴みにくそうだなぁ~と感じさせられちゃいます。
反対にジャイアンのシモーヌは、胸板は丸々と分厚く、背丈も頭ひとつほどマルチェロより高い。手のひらも厚くて、それで叩かれたら衝撃やいかに!と身震いしちゃうほどの頑丈さ加減。
歴然とした力の差があると、抗えなくなりますよね。
だけど、どう見てもシモーヌは脳みそにシワが少なそう。考える力とか、血の通ったハートは持ち合わせていな様子です。
もうちょっとマルチェロに知恵があったら、シモーヌのパシリから抜け出せたかもしれなかったのに・・・と残念です。
でもね、子どものイジメだって同じことかもしれないけど、「こいつは怖い奴だ」「こいつには絶対逆らわない方がいいい」「黙っていた方が得」という刷り込みが完成しちゃうと、知恵を働かせて抗おうという気持ちすら生まれないのかもしれませんね。
人は、抑圧されていればいるほど、その蓋が弾けたときの破壊力は甚大!ってこと、人が人を抑圧するなんてことは本来、あってはならないこと、を二人の関係で確認できます。
感想2 いい意味で予告動画からの期待を裏切ってくれた
あなたは映画をセレクトする際、何を決め手にしますか?予告動画やCM、または巷の評判、映画サイトの記事などでしょうか?
私は、ほぼ予告動画を観て、直感で「行く」「行かない」を決めています。
だけどねぇ、いわゆる予告動画ってのは、美味しいところだけをピックアップして編集しているから、時として大きく裏切られることもあるわけです。
今作もそのひとつでした。
特別、犬好きなわけではないけど、予告動画を観て、勝手に「犬がいっぱい出てくるんだろうなぁ」とか「きっと主人公を犬が助けてくれるんだろうなぁ」という筋書きを想像していました。
その想像、全然違いました!!
全然違うんだけど、非常に面白い映画でした。
見たこともないドレッドヘアの黒い犬や、マルチェロにマッサージされて「グーグー」と喉を鳴らして満足そうにしているブルドックが出てきたりして、犬好きな人には楽しいシーンもあるっちゃあるけど、犬はほんの添え物です。
そうは言っても、常にマルチェロに寄り添っている愛犬は、人間の言葉を話すことはできないけど、マルチェロが置かれている境遇や、やらかしていること全部を見ています。
自分の子どもには、自分のある種の醜態は絶対に晒したくないと思うじゃないですか。そういう気持ちって、さすがに犬に対しては持たないんですかね?
犬を飼ったことがないので、素朴な疑問でした。
感想3 ジャイアンはガキ大将なだけだけどシモーヌは極悪人
ジャイアンは腕っぷしも強く、近所のガキ大将ではあるけど、母ちゃんが怖いとか、ちゃんと優しい気持ちも持っている少年として描かれていますよね。
だけど、シモーヌは母ちゃんも平気で裏切る極悪人です。
ジャイアンのセリフ「おまえのものはおれのもの、おれのものもおれのもの」は、そのままシモーヌにも当てはまります。

この詐欺師ジョンも相当なワルでしたけどね。
で、シモーヌは「あいつ、殺してやろうか」と、近所の人たちが真剣に討議をするほどの厄介者です。
借金を踏み倒すなんてのは、当たり前。約束はとことん守らない。スロットで30分で€300すったときには、台をぶち壊して店主に€300返金させるという横暴ぶり。
こういうキャラって、どうすると出来上がるんですかね?
例えば、ジャイアンも怒られながらも愛してくれている母ちゃんが早くに亡くなって、その後よからぬ友達とよからぬ遊びを覚え、それをたしなめてくれるような人が全くいなかったとしたら、シオーヌのような大人になっちゃうんですかね?
怖いです。
感想4 結末は観客に委ねられている
どんな結末なのか?については、内緒ね。だけど、ラストに取ったマルチェロのちょっと異質な行動に対してどう思うかは、映画を最後まで観た人々に委ねられていると感じました。
途中、いくら強いからと言っても、どうしてマルチェロは卑屈なまでにシモーヌにしたがっているんだろう?どうして、もっとはっきりとNOと言わないんだろう、とイライラするんですね。
マルチェロも孤独だから?シモーヌは大切な友達なの?
いえ、そんなことはないはず。マルチェロは、離婚したとはいえ「姫」だったか?「天使」だったか?そんな風に呼ぶほどかわいがっている娘がいます。元妻ともそれほど険悪な関係ではありません。
地味ながらもちゃんと仕事があり、娘もいるマルチェロは、決して孤独ではなかったはず。
私が思うに、全ての元凶は麻薬です。
映画の元になった事件の犯人ピエトロ・デネグリも麻薬中毒者となっていますし、映画の中でマルチェロも売買&使用をしています。
シモーヌに薬物を手配していたのもマルチェロ。
ものすごくありきたりな感想ですが、平和な幸せを壊したくなかったら、やっちゃいけないことはすべきじゃない。

事実は小説より奇なり、と昔から言うように、世の中には到底、フツーの感性を持った私たちには理解できないこんな事件も起こります。
やっちゃいけないことをやっている、ということは、人に弱みを握られ、それによって脅されるリスクを常に抱えていることになりますからね。
結局、良好だった娘や元妻との関係を自らの手でぶち壊すことになっちゃうわけですもん。
決してセリフが多いわけじゃないマルチェロの心理状態は、シモーヌとの関係性や、最後に起こした事件の様子を見て、私たちが想像するようになっています。
最後の最後に、フットサル場で聞こえた地元の友人たちの声に、マルチェロはどんな感情を抱いて突飛な行動に出たのか?
シモーヌとの関係、シモーヌに対するマルチェロの気持ちは?などなど、鑑賞後に是非、じっくりと考えてみてくださいね。
まとめ
はっきり申しまして、それほど期待していた作品ではなかったんですね。
でも、大当たりでした。
イタリア映画は、ものすごく久しぶりな気がしますが、イタリア語は音が好きです。
マルチェロが「ブラボー」とか「アモーレ」と、犬に語り掛けながら洗ってあげていて、そこは微笑ましかったです。
そうそう!余談にはなりますが、イタリアの刑務所やクラブにいるイタリアメンズのエキストラたちの中に、ブラボーなイタリアイケメンがいます。
女子には、ちょっとした目の保養かな。でも、一瞬なので目を凝らしてね。居眠りしてたら、見逃しちゃうからね。