日本での劇場未公開映画は、時々掘り出し物があったりもしますが、あれ?ここがちょっと違うんじゃない?と感じる点を見つけちゃうこともあります。
今回、あれ?と感じたのが、未公開映画「デザート・ストーム」の場合はタイトルでした。
洋画は、日本で公開されるとき、必ずしも、原題をそのまま訳してタイトルになっているわけではありませんよね。
例えば、ワイルドスピードシリーズの原題は、The Fast and the Furious. 直訳すると「猛烈に速い」になるでしょうか。
映画のタイトルが、「猛烈に速い」じゃ見る気が湧いてきませんものねぇ。
だからこそ、邦題の付け方は、洋画が日本で成長するための命を吹き込むこととイコール!と感じるわけです。
ところが、「デザート・ストーム」は、タイトルだけを見た場合、過度な期待と誤解を招きかねないかも・・と感じたので、その理由と感想を綴ってみたいと思います。
感想はネタバレしておりますことをご了承くださいね。
作品の概要
テレビドラマ「The O.C.」のミーシャ・バートンが主演を務め、危険な砂漠の真っ只中で立ち往生してしまった若者たちの運命を描いたサバイバルスリラー。
刑務所から出所して故郷に帰った24歳の女性ジェイは、兄ロビンに誘われ、デス・バレーで開催される音楽フェスティバルに参加することに。
ロビンとその恋人や友人たちと5人で出発するが、荒廃した砂漠の道路で車が故障してしまう。
偶然にも同じフェスティバルに向かっている3人組と知り合ったジェイたちは、彼らの古いRV車に乗せてもらったものの、その車も故障。仕方なく徒歩で会場を目指すことにした彼らに、自然の脅威が容赦なく襲いかかる。
で、ここで気になったのが、サバイバルスリラーと書いてあるところ。砂漠でのサバイバルストーリーではあるけど、ジャンルをスリラーにしてしまうほどスリリグではありません。
と、私は思います。
邦題の付け方がNGだと感じた理由
名詞の「desert」は砂漠です。でも動詞の「deserted」は、下記のように意味が違ってきます。
人の住まない、さびれた、捨てられた
〔人・物が〕見捨てられた、放棄された
人の住まない[住んでいない]、人けのない、さびれた〈場所・建物などが〉うち捨てられた,人けのない,さびれた
〈人などが〉見捨てられた,見限られた
どうして邦題を「デザート・ストーム」と付けてしまったのでしょうか?
「デザート・ストーム」というタイトルだけを見たら、そっか!砂嵐に巻き込まれちゃう、またはその被害に合うサバイバル映画なのね、と思うのは私だけじゃないと思うんですね。
多分、原題が「deserted」だし、確かに砂漠の中で迷子になるし、砂嵐的なモノもやってくるからこのタイトルになったと想像しますが、ちょっとイージーだったかな、という印象です。
なので、砂嵐の描写や砂嵐によって何がしかのトラブルが発生して、そこからサバイバルする、的な想像をして鑑賞するとがっかりするので、違う視点で楽しんだ方がいい映画だと思います。
あらすじ
ロサンゼルス刑務所での2年の服役を終えて出所したジェイ。兄のロビンが迎えに来ていて久しぶりに我が家へ。
兄にはローズマリーという恋人がいて、週末には友人たちとデスヴァレーで開催される「スピリチュアルフェス」に行く予定になっていました。
だけど、せっかくジェイが帰ってきたから、ロビンはフェスには行かず家にいる、と伝えると、ジェイが私も一緒に行くと言います。
そこで、ロビンとローズマリー、その女友達二人、ジェイという5人のメンバーでデスヴァレーへ出発。
途中、車が故障し、修理部品を取り寄せて修理が完了するまで2日かかると言われてしまいます。
そこへ同じようにフェスに行くためキャンピングカーで休憩に立ち寄った男子3人組が、乗って行けよ!と提案してくれたことで、5人はキャンピングカーに乗せてもらうことに。
日が落ちて、野外で1泊することになり、ドラッグをみんなで回しはしゃいで夜が更け、翌朝気づいたときには、テントの中でローズマリーが亡くなっていました。
さて大変!と大騒ぎになったところで、もうひとつトラブル発生。前日の夜に車のライトで女二人が遊んでいたために、バッテリーが上がってエンジンがかからなくなっていました。
アホです!今どきの女子、エンジンかけずにライトつけっぱなしだと、バッテリーが上がることを知らなかったのかしら?
砂漠のど真ん中。ケータイもつながりません。ピンチです。
あなたならどうしますか?歩くしかありませんよね。きっと私も歩くと思います。

だけど、どの方角に?太陽の向きを頼りに歩くしかないんですよ。不安ですよねぇ
ここから、砂漠でのサバイバルがスタートしますが、砂漠といってもサハラ砂漠のように一面砂というわけではなく、時々木も草も生えてるけど、非常に乾燥した地帯という感じ。
サバイバルの旅は、ただひたすら過酷で、ひとり、またひとりと脱落していくだけで、特に大きな事件は起こりません。
この度は、体力と精神力のある者、そして生きることへの希望を捨てない者が勝ちです。
最後に誰が残るのか?それは秘密ね。
感想
その1 ロケ地の絶景は必見の価値あり

撮影もデスヴァレーで実際行われた様子。とにかく、その景色の雄大で見事なこと!ここは大きな見どころのひとつです。
だけど、雄大な星空を眺めながら「見事に美しい、残酷なほど雄大だ」とつぶやくんですね。確かにものすごく美しいけど、自分たちはその美しさを作っている自然と戦っているからこそ、残酷と感じるわけです。

インドア派の私は、基本旅があまり好きではありません。だからこそ、こうした他の国の自然や素晴らしい風景を映像で見られる喜びを映画に感じるのかも。
日本にはスケールの大きさと、飲み込まれそうな規模の自然を堪能できます。
その2 伏線が弱いかも
砂漠でのサバイバルの中に、ローズマリーとジェイの険悪な関係性とか、何故ジェイが服役していたのか、という伏線があるわけです。
だけど、それがあまり物語の中で生きていないように感じちゃったかな。
旅の途中でローズマリーが亡くなったこともジェイとは全く関係なかったし、意外と早々に失くなってしまったし、勿体ないような気がしましたね。
その3 サバイバルの迫力不足
確かに砂嵐はやってきます。遠くから猛烈な大きさで迫っては来るんだけど、それを確認して、窪地に隠れて無事やり過ごすだけ。
それにより、被害は出るっちゃ出るけど、砂嵐そのものの迫力なら、ミッションインポッシブル:ゴーストプロトコルであったドバイでの砂嵐の方がすごかった!
まあ、予算が違いますから、比べちゃダメです。
だけど、全体的にサバイバル映画なら、もう若干の工夫がほしかったなぁ~という残念感は残りました。
まとめ
私はビビりなので、窮地に追い込まれるとほぼパニックになります。だから、冷静な判断力なんてのは、早々に失くしてしまいます。
だけど、この映画を観ている限りにおいては、窮地になればなるほど、今必要なこと、今やるべきこと、今やっちゃいけないこと、を判断しなくちゃ生き残れません。
もし窮地に追い込まれたら、生きる道は若い子に託したいと思います。
上映時間は92分と短いので、暇だなぁ~と思ったときにサクッとご覧になるタイプの映画かな、と思います。