性的指向やジェンダー・アイデンティティの変更を目的とした「矯正治療(コンバージョン・セラピー)」での回顧録が基になった映画「ある少年の告白」を観てきました。
もっと早く観ればよかった、と思ったほどいい映画でした。
つい最近、イスラム教の戒律を厳しく守るブルネイで、不倫と同性愛行為には、投石による死刑を科す刑法が施行されましたよね。
それにより、国際人権団体から「人権侵害だ」と強く批判されています。不倫が死刑なら、日本には処刑される人が溢れちゃうじゃん。ねー。
不倫は理性で抑えられるものだけど、同性愛は治そうと思って治せるものではないですよね。
性的指向を矯正治療で治そうとする発想が、その人の人権を否定しているように感じるし、偏見以外の何物でもないことが映画を観るとよくわかります。
この映画は、宗教も絡んでくるので、そのあたりは無宗教の私にはちょっと理解しがたいところもありましたが、親の対応が暴力ではない虐待とも感じられる側面もありました。
是非、多くの方に観てもらいたい作品のひとつです。それでは、あらすじ&感想にGO!ただし、ネタバレ含みますことをご了承くださいね。
Contents
作品の概略
牧師の父(ラッセル・クロウ)と母(ニコール・キッドマン)を両親にもつジャレッド(ルーカス・ヘッジズ)は、大学生となった。
きらめくような青春を送るなか、思いがけない出来事をきっかけに、自分は男性が好きであることに気づく。
意を決して両親にその事実を告げるが、息子の言葉を受け止めきれない父と母は困惑し、動揺する。
父から連絡を受けた牧師仲間が助言をするため、続々と家へやってくる。
父は問う。「今のお前を認めることはできない。心の底から変わりたいと思うか?」悲しげな表情の母を見て、ジャレッドは決心する。「はい」
母が運転する車に乗り込み、ジャレッドは施設へと向かう。「治療内容はすべて内密にすること」細かな禁止事項が読み上げられ、部屋へと案内される。
白シャツの同じ服装の若者たちが弧を描くように椅子に腰を下ろしている。「救済プログラムにようこそ!」12日間のプログラムが始まった。
オフィシャルサイトより
今も存在する性的指向の矯正治療
原作は、NYタイムズ紙によるベストセラーに選ばれ、全米で大きな反響を呼んだガラルド・コンリーの自叙伝「Boy Erased:A Memoir」を基にした作品。
ガラルド・コンリーが実際に体験し、回顧録として実態を告白した「矯正治療(コンバージョン・セラピー)」での出来事。
強制的に性的指向やジェンダー・アイデンティティを変更させようとする「矯正治療(コンバージョン・セラピー)」は、鬱や深刻なトラウマをもたらすだけでなく、自殺率の高さも指摘されているそうです。
米国では、規制は進んでいるものの現在も施され続けており、これまでに約70万人が経験、そのうち約35万人が未成年のうちに受けたといわれています。
監督, 脚本, 制作はジョエル・エドガートン、作中で矯正施設の指導者:ヴィクター・サイクス役も演じていますが、このヴィクターがすごく恐ろしい。役者ってすごいな、と単純な感想を持っちゃいます。
注目キャストと予告編挿入曲
左側のジャレッドを演じていたのはルーカス・ヘッジズ、この右側の青年は矯正施設のメンバー:ゲイリーを演じていた「トロイ・シヴァン」 出番は多くなかったけど、非常に美しい青年で、気になる存在でした。
1995年6月5日生まれの「トロイ・シヴァン」は世界的YouTuberとして知られ、シンガーソングライターとしても活躍。米TIME誌はトロイ・シヴァンを“2018年の完璧なポップ・スター”と評しています。
ちなみに、映画『ある少年の告白』の予告編で流れている「Revelation」という曲は、アイスランド出身のポスト・ロック・バンド「シガー・ロス」のヴォーカル兼ギタリスト『ヨンシー・バーギッソン』とトロイ・ソヴァンによるコラボ楽曲です。
4月24日東京の豊洲Pitで1日限りの来日公演を行ったそうです。
ちなみに、トロイ・シヴァンも一緒に楽曲を作ったヨンシー・バーギッソンもカミングアウトしているゲイです。
あらすじ
その1 ジャレッドのカミングアウト
大学生活を謳歌していたジャレッドが、親しくなった友人:ヘンリーを寮の部屋に泊めた夜、ヘンリーにレイプされてしまいます。
ジャレッドの実家に、そのことを密告する1本の電話があり、ジャレットの身に起こったことを両親が知ることになります。
それは真実なのか?と父親に詰め寄られ、父親はイエスかノーでの答えを迫るんですね。その時、ジャレッドは「自分は男性が好きかもしれない」とカミングアウトします。
するともう両親はパニック。動揺するばかりで、ジャレッドの話しなんか一切聞く耳を持ちません。
ジャレッドはレイプの被害者なのに、そのことを慰めるわけでもなく、被害を心配するわけでもなく、ただひたすら両親は「ゲイであることをカミングアウトした息子」を怒鳴り散らして攻め立てるわけです。
何故、ジャレッドの話しをちゃんと聞いてあげないの?それは、父親の戸惑いと混乱、そして受け入れがたい事実への拒絶反応だったのだろうと、私は思います。
そんな醜態をさらしまくる夫なんだけど、妻のナンシーは愛情をもって接するんですよねぇ。エライな、と思っちゃいますよ、ここ。
その2 ジャレッド矯正施設へ
牧師である父親は、ジャレッドからのカミングアウトを受け、牧師の親玉?的な地位の人に相談するんだけど、父親はあくまで息子のゲイをどうにか正そうと思ってるんですね。
そして、相談の結果なのか?ジャレッドは、母親と一緒にホテル住まいをしながら矯正施設の「ラブ・イン・アクション(Love In Action)」という12日間の同性愛者治療プログラムに参加することになります。
受付で全ての持ち物が没収され、プログラム参加者とのスキンシップは一切禁じられ、トイレに行くときも施設職員の同行が義務付けられています。
そこで男らしさとは何か?を教え込まれたり、自分の犯した罪を告白して反省したり、男らしい体作りを体験することになります。
全てが管理されていて、同性愛であるだけなのに、そこはまるで犯罪者の収容施設のようです。なんの罪も犯していないのに・・
その3 恐ろしい施設の指導者
プログラムには、自分の体験を発表し、反省するというワークがあるんだけど、メンバーのキャメロンが、指導者の指示に従えなかったことで罰を受けるんですね。
ワークがあった次の日、施設に行くとそこにいる人たちが正装をしていて、ジャレッドもネクタイを締めるように言われます。何が始まるの?と尋ねると、儀式と言われます。
その儀式は、前日指導者の指示に従えなかったキャメロンに対する凄惨なお仕置きの儀式だったんです。
何故、自分の気持ちを偽らなかっただけなのに、キャメロンはこんなひどい目に合わなきゃいけないの?と感じます、ここは、涙なくして見られません。
指導者ヴィクターは、本当に自分がしていることは正しいと思っているのだろうか?個人的に同性愛者に対する恨みでもあるんじゃないか?と思うほど、執拗なお仕置きは、虐待以外の何物でもありませんでした。
後日、キャメロンは自殺してしまうんです。どれほど、キャメロンは傷ついたことか、失意の底で亡くならなきゃならなかった若い命の尊さを、施設の人たちはどう思うのだろう?と悔しくなります。
その4 ジャレッドの叫び
ある日、矯正施設で指導を受けていたジャレッドは、指導者の言葉に納得いかず、「おかしいのはお前の方だ!」と叫んで逃亡を図ろうとします。
だけど、持ち物は没収されているし、ドアには鍵がかけられています。没収されていた荷物からケータイを取り出し、トイレに籠城して母親に助けを求めます。
父親の言うことに逆らえず、ジャレッドを矯正施設に送り込むことにも反対しなかった母(ニコール・キッドマン)がここで立ち上がります!行け、母よっ!
母の本能が「今、私がジャレットを救わなきゃ!」と感じ取ったのだと思いましたね。部屋着のままで現れた母親の姿に、必死さが感じられてホッとしましたもん。
だけど、この期に及んでそれでも指導者は、グループワークに戻るよう親子を説得するんですね。だけど母は折れません。
「早くドアを開けなさい。警察呼ぶわよ!」だったかな?毅然とした態度が頼もしかったなぁ。
車に乗り込む前にも「医者の資格でもあるの?セラピストは?何の権限があって治療と言ってるわけ?えっ!どーなのよっ!」みたいな捨て台詞。母さん、かっこいい~。(セリフは正しく記憶していませんので、雰囲気で捉えてください)
何が起ころうと、誰に責められようと、絶対に息子を連れて帰る、という母の強い意志を感じましたねぇ。今まではお父さんに従ってきたけど、もうやめる、私がお父さんを説得して2度と施設には戻さないわ、ベイビィ。と約束するんです。
私は女で母です。でも、この映画を父である男性が観たら、また感想も違うかもしれませんね。
その5 ジャレッドと父の関係
とにかく、息子より面子が大事な親父にイライラするんですよ。間違ったと思ったら、例え息子であろうと謝れよ!と思うんだけど、そこは父親の威厳か、牧師として指導している立場があるからか、素直じゃないんだなぁ
で、母親に連れられて戻ったジャレッドの元に、キャメロン自殺の件で事情を聞きに警察が訪れたことで、施設で何が行われていたかを父親も知ることになるんですね。
最後にNYへ旅立つジャレッドが父親のオフィスに来て、二人で話をするシーン。ありのままの自分を認めてくれないならもう会うことはないかもしれない、とジャレッドが言うと父親は「トライする」と一言。
お前を失うくらいなら、時間はかかるかもしれないけど、理解できるよう頑張ってみると、ということがその言葉に詰まっています。
頑固おやじも息子を愛しているんです。だけど、上手く表現できないし、本能で自分のメンツが先に立つんですね。男って多いよねぇ。こーゆータイプ。損なのに。
エンドロールの前に、矯正施設での体験を綴った原作者:ガラルド・コンリーの現在の様子が映し出されます。ゲイは矯正できるものではないし、すべきことでもない、ことが感じられるラストです。
感想
性的指向やジェンダー・アイデンティティの変更を目的とした「矯正治療(コンバージョン・セラピー)」での体験を基にし、ジェンダー・アイデンティティによる差別や施設運営の是非を問う作品ではあるけど、親のあり方、みたいな側面を感じた映画でした。
親としての正しいあり方、なんてのはないかもしれないけど、子どもの話しに耳を傾け、きちんと聞いてあげる必要はありますよね。
父親がボソッと「孫の顔が見たかった」と言うんだけど、そんなもん子どもが元気でいてくれるだけでありがたいじゃないですか。
子どもは親に信頼されていることで、立ち直ったりします。信頼は愛情とイコールでもあると思っています。
少し前に観た「ビューティフルボーイ」も、時にウザいと感じるほどの父親の愛情があったからこそ、じゃぶじゃぶなドラッグ中毒だった息子が、何回も更生施設に入る経験を経て、落ち着いた生活が取り戻せていると感じました。

私なんか小心者なのでね、率先してみんなと違う行動をとるのは苦手ですが、意識の中では「みんなと同じじゃなきゃいけない」とは全く思っていません。
そもそも恋愛なんてのは、この人を好きになろう、と思ってするものではなく、気づいたら落ちちゃったよねぇというものですよね。
気づいたら落ちちゃってた相手がたまたま同性であろうと、それはその人自身の問題であり、周りは関係ない。肉が好きな人もいれば、魚が好きな人もいる、それと同じだと私は思います。
矯正するための施設が、今なお世界中に存在することに驚きです。私は友人にゲイもレズビアンもいるけど、みんな特に変わったことろはありません。人間的にいいヤツだからこそ、友達として付き合っています。
この映画では、ジャレッドが大学の寮でレイプの被害を受けますが、そこはあまり詳しく描かれてはいません。
でも、日本でも少年少女への性的いたずらが後を絶ちませんよね。ニュースを見るたびに心が痛みます。
賛否両論あるのは承知の上ですが、性的加害者に対してはもっともっと重い処罰を望んでいます。少子化が問題になっているのだからこそ、安心して子供を育てられる環境のひとつとして、子どもに対する性被害を減らす対策をもっと考えるべきです。
ちょっと話が逸れちゃいましたけど、そんなこんなをいろいろ考えさせられる映画でした。
余談ですが、母親役のニコール・キッドマンが、まあああ美しいんですね。でも、服装が絶妙にダサいんです。このダサさ加減になんか意味があるのかなぁ~って、鑑賞中にずっと気になっていたポイントでした。
多分、ガラルド・コンリーのお母さんに寄せているのだと思うので、あまり大きな声でダサいとは言いにくいけど、言っちゃった。悪しからず。
まとめ
すごくいい映画なのに、ちょっと残念なのは、公開している劇場が少ないということ。
こういう作品こそ、みんなに観てもらいたいなぁと個人的には思います。映画でも観ようかなぁ~と思ったら、候補に入れてみてね。
世の中から、性的指向やジェンダー・アイデンティティに対する偏見がなくなりますように!
