洋画の劇場公開本数が激減しているこの頃。洋画ファンとしては寂しい限りです。
というわけで、あまりコメディ作品は好きじゃないんだけど、キアヌ・リーヴス主演作の「ビルとテッドの時空旅行 音楽で世界を救え」を鑑賞してきました。
映画にはものすごく個人的な好みが反映されると思っておりまして、高評価された「パラサイト 半地下の家族」を動画配信で鑑賞した私には、何が評価されたのか全く理解できませんでした。
というわけで、ここに綴るのはあくまで私個人の感想ということをご理解くださいね。
作品概略
原題:Bill & Ted Face the Music
製作年:2020年
製作国:アメリカ
キャスト:キアヌ・リーヴス、アレックス・ウィンター
監督:ディーン・パリソット
脚本:クリス・マシスン、エド・ソロモン
1989年製作「ビルとテッドの大冒険」、1991年製作「ビルとテッドの地獄旅行」から約30年を経過してのシリーズ3作目。
ビルとテッドを演じているのは、3作を通してキアヌ・リーヴスとアレックス・ウィンター。
ラッパーのキッド・カディ、「フー・ファイターズ」のデイブ・グロールがカメオ出演。「アーケイド・ファイア」のウィン・バトラーもノンクレジットで友情出演。
キッド・カディは、シリーズ作の大ファンだそうです。
ざっくりあらすじ
時空の歪みによって人類の危機に瀕し、残された時間はたったの77分25秒。
それを音楽で救えと任命されたのが、売れないミュージシャンで幼馴染のビルとテッド。
タイムマシンで過去や未来に移動し、様々なトラブルに巻き込まれながらも常に前向きに取り組むおバカコンビのおっさんが、世界を救うためにしたこととは?
感想
子どもの頃の同級生感覚が抜けないどーしょーもない中年オトコが主人公で、くだらなくてとてつもなくばかばかしいしいんだけど、今の世の中に向けたメッセージが込められていた愛溢れる作品。
コメディ作品があまり好きじゃないこともあって、最初は「あれ?作品選び、失敗したかも?!」と感じちゃったんですね。
ドタバタの極みをただただボケーっと観てたけど、そのドタバタの極みはラストシーンにつながっていて、ダラーっと座っていた姿勢をビシッと正し思わず身を乗り出しちゃったラストは圧巻です。
そうか!全てがラストシーンを魅せるための演出だったのかしらん、と「失敗したかも?!」と思っていた感想が一変。
ビルもテッドもダメダメな中年オトコだったけど、いやいやそうでもないかもな、こんなおバカなオトコが実は人を幸せにするのかもしれない、とすら思っちゃいますから。
18世紀の音楽家:モーツァルト、没後50年経った現在でも、ロック史上最高のギタリストとして評価されているジミ・ヘンドリックス、20世紀を代表するジャズ・ミュージシャンのルイ・アームストロングが同じ舞台に立っちゃうという奇想天外な設定。
もし、本当にそんなことが可能だったとしたら、一体どんな音楽が奏でられるのだろう??と妄想が膨らみます。
以下の感想にはネタバレも含まれますことをご了承くださいませ。
父と娘
本日公開『ビルとテッドの時空旅行 音楽で世界を救え!』にはふたりの娘が登場するんだけど、言動がそれぞれの父親そっくりという設定。特にキアヌの娘に扮したブリジット・ランディ・ペインのキアヌ完コピ演技が最高におかしい。顔も若い頃のキアヌ似だし。ちなみに真ん中にいるのはキッド・カディ。 pic.twitter.com/zSoF96qTGn
— 長谷川町蔵 (@machizo3000) December 18, 2020
そうなんです。ビルとテッドにはそれぞれ娘がいて、彼女たちも父親同様すごく仲良しで音楽が大好きで、どこから見つけてきたのっ?と思うほど、娘たちの言動や雰囲気が父親にそっくり。
そりゃあね、本当は他人だからよぉーく見たら、顔に共通点はないですよ。
だけど、しゃべり方や動作のクセみたいなのがよぉーく似ていて、そこが個人的にツボでした。
キアヌ演じるテッドの娘がビリー、ビルの娘がティア。それぞれの頭文字が父親たちと反対になっているのね。これにもオヤジたちの仲の良さ、絆の深さを感じたんだけどどうかしら?
25年間も売れないミュージシャンとして活動している父親たちは働きもせず、家計は妻任せ。だけど、娘たちはそんな父親をリスペクトしているんですね。
そんなことってあり得ない!と思いながらも、そうした関係を築けるのは、家族の絆や母親が父親をバカにしていない、ということが大前提かな、と思ったりもして。
「お父さんみたいになっちゃダメよ」とか
「お父さんより立派な人になってね」とか
「あなたの稼ぎじゃ家計が苦しい」とか
「休みの日にゴロゴロしてばかりいないで!」と言ったりしている家庭で子どもが育てば・・・どうなるか明らかですよね。
ビルとテッドの妻たちは、夫のしでかすことにあきれながらも常に温かい。
男と女の役割を定義づけることが、もうバカバカしい時代になっているとも言えるのかもしれません。
世界を救う音楽を探す旅
77分25秒でビルとテッドは、世界を救う音楽ってヤツを探さなくちゃならないので、電話ボックスになっているタイムマシーンで時空の旅に出ます。
それと同時に娘ふたりもパパたちを助けるため、別便で最強の音楽チームを探そうと時空の旅に出るんですね。
そこで、モーツァルトやジミ・ヘンドリックス、ルイ・アームストロングをスカウトしてくるわけ。おやじたちに比べて、斬新で音楽好きな若い女子の発想がキラキラしてる感じ。
ビルとテッドは、未来の自分たちに会ってくるんだけど、たっぷりと脂肪が付いたでっぷりお腹のキアヌ、刑務所に収監されている筋肉隆々のキアヌと、設定が見事に間抜け。
個人的にはジョン・ウィックのキアヌ・リーヴスが好きだけど、今作はキアヌ自身が本作への愛を語り続け、長年にわたり熱望して完成したのだそうです。

「いい人」として定評のあるキアヌにとっては、バッタバッタと人をぶった切るジョン・ウィックより、ばかばかしくてもほのぼのとして人の笑いを生むコメディ作品の方が好きなのかな、と思ったりしました。
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すでに鑑賞した方と共有する感想
間抜けでばかばかしくて、あり得ない!話であったとしても、ラストシーンまで頑張って観るべき、と私は思いましたが、どうですか?
それぞれ時空の旅に出ていた父親たちと娘たちが、現実世界に戻ってみるとすでに世界は崩壊しかけています。
時間も舞台も決められていた「世界を救う音楽」の演奏。
刻々とその時は迫っていたけど、肝心の世界を救う音楽が入っていたUSBはビルが壊しちゃったしね。
だけど、そんなもんは必要なかったんです。父の背中を見て育った無類の音楽好きだった娘たちふたりが、モーツァルトもジミ・ヘンドリックス、ルイ・アームストロングも顎で使って演奏を始めます。
ここ!!このためにこの映画があると言っても過言ではない。
全く音楽を聴かずに育つ人間っていないと思うんですね。
例えジャングルの奥地に住んでいる村人であろうと、太鼓を叩いたり、その部族特有の楽器があったりするじゃないですか。
音楽ってのは、無意識のうちに人を魅了し、無意識であっても人は音楽を望んでいるんだと思っています。
だからこそ「音楽は世界を救う」んです。
話しはちょっと逸れるけど、嵐が2020年末で活動を休止するのはちょっと寂しいなと感じていて、最近Netflixのドキュメンタリー「ARASHI’s Diary 」を見てみたんですね。
アーティストって、すごいです。
モノを作り出す情熱、そこにかかる時間と人、ファンに届けるために目指す完成度。だからこそ、音楽には魂が込められていて、それを感じた聴き手の感動を生むんだと感じました。
いやー、ホント音楽って素晴らしい。
作品のメッセージ
そして多分、この作品のメッセージは「音楽が世界を救ったんじゃなくて、みんなで力を合わせたから救えたんだ」ということ。
コロナ禍も1年近くになっていますよね。自粛も疲れてきていると思うけど、まだまだ収束が見えてきません。
自分だけはいっか、と思って行動する人が増えれば増えるほど、陽性数は増えていくんだと思うんですね。
今はたくさんの人と集まっちゃいけないんだけど、人との絆って会わなくても感じられるし、励ましあうこともできます。
ちょっと気分が落ちたり、憂鬱な気持ちになったり、人との揉め事に心を痛めていたら、今作を観て吹っ飛ばしちゃうのがいいと思いませんこと?
サイコーにばかばかしくて、悩んだり落ち込んだりしている自分のこともばかばかしくなっちゃうかもよ。